2010年3月3日水曜日

バンクーバーオリンピック 浅田真央 フリー

フィギュアスケート、韓国の不正ジャッジ問題に関しては、方々で話題になっているかと思います。
ここではそれとは別に、浅田真央の演技について。

そう、端的に言って、私は曲の理解が無かったです。
スポーツを見る眼はそれなりにあるつもりですが、芸術とくに背景知識はあまり無いんですよね。

ラフマニノフ「鐘」について、ピアニスト 山形リサさんのブログ記事を紹介します。

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正直、オリンピックで真央ちゃんがこの曲を使うと知ったときは

「なぜわざわざこの曲を・・・!?」

と、心配に感じた。



理由は後述するが、ガーシュウィンのピアノ協奏曲とは違って、確実にスケートを滑るには難しい曲だからだ。
↑昨日のテレビではガーシュウィンについて「全く知られていない曲をオーサーコーチが見つけ出した」という解説がされていて、これまた顎がはずれそうになった(泣)
全然、無名の曲じゃないですから…。



でも、今日の真央ちゃんの演技を見て、音楽家としての私は「よくぞこの曲をここまで…」と驚嘆してしまった。

まずはじめに、赤い衣装を着ると金メダルを取れないというジンクスがあって、青い衣装にしないのかという話題があったが、この曲で演技をするなら絶対に「青」は考えられない。

なぜなら、この曲の鐘のテーマは「警鐘」なのだ。

具体的には火事の。
(中身については戦争だったり、災害だったりいろいろな原因があると思われるが)

彼女の演技は、炎のような強さ、逃げ惑う人々の苦悩、怒り、恐怖、そしてそれらを乗り越えていく人間のたくましさを表現していた。

この曲は人々に危険が迫っていることを知らせる「警鐘」をモチーフにした曲なので、聴く人に緊張、不安、焦りのような感情を引き起こす効果がある。

演者(選手)にしてみれば、普通の曲を使用するよりもはるかに緊張度が高まるはずなので、この曲でジャンプが飛びにくい理由は容易に想像ができてしまう。

オリジナルのピアノ演奏では、今回のオーケストラ編曲版よりもリズムがはっきりしていて音の流れや勢いを感じやすいのだが、あえてオーケストラ版を使ったのは、その'緊張感’をより一層引き出す効果を狙ってのことなんだと思う。

聴衆も曲から緊張感をあおられているので、演技が成功したときの効果がより高まるという計算だったと思われるが、競技者のほうが聴衆よりも繊細なはずなので、受ける影響も大変なものだったと思う。

タラソワコーチが「鐘は誰にでも滑れる曲ではない。」と発言しているが、まさにその通りだろう。

今回の選曲についての是非は置いておくとして、私はこの曲を与えられた真央ちゃんに尊敬と賞賛の気持ちを贈りたい。

ロシア人にとっての「鐘」という存在(曲のことではない)は、我々外国人が想像するよりもはるかに深く民族に根付いた歴史の一部である。

もしコーチ陣がこの曲の持つ音楽的効果を知らなかったとしても、ロシア人である以上はこの曲の音楽的背景について絶対的に理解しており、まさにロシアそのものといえる壮大なテーマを真央ちゃんに与えているのだ。

上手な例えが見つからないが、日本人コーチが外国人選手に「君が代」や「さくらさくら」を選曲したと想定すると、その裏にあるさまざまな感情を想像することができるのではないだろうか。

ロシア音楽を研究してきた私には、タラソワコーチが真央ちゃんに託した情熱、信頼、誇り、金メダルへの並々ならぬ思い入れが感じられ、本当に本気の唯一無二のプログラムだったのだと思えてならない。
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これを読んで、あらためて演技を見直しました。

http://www9r.nhk.or.jp/olympic3/r/figure_normal.html?c=FSW010_855

ようやく、その真価が判りましたよ・・・・

プルシェンコ 『ニジンスキーに捧ぐ』 2004 RN 芸術点オール6 0 Plushenko

また、何故に浅田真央がこの人に大切にされているかを理解しました。
3Aを跳ぶから、だけではないんです。